粋 since 2001 days and artisans

粋 since 2001 days and artisans

三陽山長と粋

確かにいる、必要としてくれる人のために。
流されず、自分が信じたことを信じる。
一朝一夕ではなかなかうまくいきませんが、
そう繰り返した日々は必ず先につながります。
ようやく、20年が経ちます。
伊達でも気障でも華美でもなく、粋であること。
少しずつですがその在り方がわかってきました。
これからも私たち三陽山長は
そんな粋の持ち主と強くつながっていたい。
掛ける
藤田 貴久

SOWBOWディレクター

藤田 貴久

九州地方の産業や伝統技術を背景にしたプロダクトレーベル「SOWBOW(蒼氓)」を展開。アパレル勤務で経たネットワークを活用してファッション・着流しに対する価値観を東京と九州の二拠点から発信

伝統工芸ではなく、伝統工業

三陽山長の製造背景には浅草がありますが、浅草のみならずものづくりが根付く産地はたくさんの職人によって支えられています。藤田さんが手がける蒼氓(ソウボウ)もまた、九州地方に伝わる産業を取り入れたプロダクトを展開することで多くの職人たちと深い関わりを持っています。そんな職人たちによって守り続けられている意匠や製法には、時代に合う在り方を選択しながらこれまでの歴史を紡いできたものも多くあります。藤田さんは今まで続いてきた歴史に普遍的な価値を見出し、蒼氓を通じながら考えを加えています。
「有田焼の工房を訪ねた時に、彼らは自分たちの仕事を伝統工芸ではなく伝統工業と言っていました。これは伝統工芸が作家による良いものづくりに対して、伝統工業は昔からある同じ技法を現在に改良しながら安定して作っていくことが良いものづくりだという考えに基づいています。伝統工業はアーティスト作品とは大きく違って、いわば日用品。感覚的にはスーパーで売っているくらい身近なものと並列の存在だと思います。ですが同時に“伝統”とつくと身近に思えない人が多い印象も感じています。蒼氓では身近にある存在を尊重しながら、生活において当たり前の存在に目を向けてもらうためにどう価値付けするかを考えています」。
藤田さん自身の拠点は東京。仕事を通じた縁で九州地方のものづくりとのつながりを濃くしていきました。また当時の藤田さんはアパレルによる毎シーズンの新作発表や消費されていくような感覚にやや疲弊気味だったタイミング。同じものを変わらずに突き詰めていく人間たちとの出会いをきっかけに、東京と九州が掛け合わさったものづくりは動きはじめました。

個の時代と言われる今、
個を主張しない力

蒼氓は“固有名詞を持たない民、人民”という意味を指す名称だと藤田さんが教えてくれました。ここにも伝統工業同様、個を象徴としない主義が反映されています。ものはいずれ朽ちていきます。良いものが時代を超えて残るわけではありません。残るのは良いものづくりの意志や思想。掛けられたタスキを次へと渡し、またその次に渡す気持ちが力に変わるように、ものづくりの心を受け継いでいきます。
「僕らが主体になって産業を広めたいとか、技術を伝えたいとか、そういったことではないんです。ひとつのブランドとしての見方よりハブとなる存在を理想としていて、最終的に別の誰かが蒼氓を動かしていてもいい。そういう仕組みを作りたいと思っています。何十年、何百年と続く産業と仕事をしているので彼らと同じように蒼氓もレーベルとして残るようにしていきたいです。ブレずにひとつのことを突き詰める人や意志を持つ人、企業などその場所にいる人たちと協業することで生まれるものづくりを続けながら成長したいと思っています」。
今後は九州地方の産業を背景にした蒼氓以外に別レーベルで行う他地域との取り組みを視野に入れつつ、物産展や土産屋に伝統工業製品の設置、お寺や神社などの制服製作にも着手していきたいと藤田さんは話します。

着流し。それは日本特有の美学

街で見かけるTシャツとジーンズにレザーシューズのシンプルな装い。決して派手なわけでもないのにその人物に目がいく理由はきっと、自分に合うものを身につけているからです。自分に合うとは、素の姿に近いという考え方もできます。日常に必要なものとは見栄ではなく胸が張れるもの、誇りや自信に変わるものだと、藤田さんの話を聞くことで再認識できました。
「蒼氓のコンセプトには着流しの概念があります。いろいろな考え方があると思いますが、僕にとっての着流しとは当たり前のようにあるものに袖を通して肩肘張らずに出かけられることです。それは和服でも洋服でも変わらなくて、自然体のままでいられることを指した言葉として解釈しています。英訳できない言葉で、おそらく日本特有の美学。人間性がすごく表れる所作だと感じていてそういう空気感も大切にしたいと思っています。蒼氓はお洒落着を作っている感覚より白いTシャツをどう着るかという感覚に近いかもしれません。こうやって着るものでこういう人が着ていますなどと説明的なことはあまりせず、着る人によって違いがあって真似できない格好良さがある洋服を目指したいというのが根底にあります」。
私たちが生活するのは洋服を着たり靴を履いて外へ出ることが当たり前の日常。それらを日々に寄り添う日用品として捉えるか、それとも日々に刺激を与える嗜好品として捉えるかの価値観はそれぞれでいいのだと思います。そうして一緒に考えることでより良い環境や体制が生み出されていくのだと信じています。

勇一郎 一枚への思いを辿る
勇一郎

藤田さんが手がける蒼氓のプロダクトからはストーリーを読み取ることができます。久留米絣に小倉織、都城の藍染め______。しかし九州地方に伝わるこれらの産業は誇張しすぎることなく、作り手同士の間で重なる思いや届けたいメッセージとして丁寧に織り込まれています。このストーリーを構成するに欠かせないのが、現代まで受け継がれている伝統工業による素材たち。一枚一枚に意志を込めて日常へ届けます。

ホールカットという革靴のデザインがあります。従来複数のパーツで構成されるアッパー部分を一枚革で作製するため、通常の製靴技術よりも高い水準が求められ成型にも時間を要します。この「勇一郎」は職人の手仕事で仕立てられたホールカットシューズで、一枚革特有の和と洋が調和した空気感が他にはない魅力です。また三陽山長の靴作りにおいて重要な立ち位置を担う木型のひとつ【R2010】を採用することで、柔らかい表情かつ立体的な造形美がもたらされています。

勇一郎 / YUICHIRO

ホールカット

¥94,600