本質を見たい、他者を理解したい
その先にはたぶん、優しさが生まれてくるはず
石井靖久 YASUHISA ISHII(医師、写真家)
テキスト:多田メラニー
「表層にとらわれず、本質を見る」。言葉の意味を頭では理解できていても、実践に移せる人はこの世界にどれだけいるだろうか。医師と写真家、一見結びつきのない2つの職業に就く石井靖久は、多くの人間と、物事と向き合っている。一方的な主観で判断せず、他者への理解力に特段長けていると会話中に感じたのは、彼が居る、ある意味特殊な環境や積み重ねてきた日々が少なからず影響しているのだろう。そんな彼が写し出す写真がまた面白い。鑑賞する他者に新たな気付きを与えてくれるような表現は、いかにして生まれるのか? 発信されるポジティヴなパワーと優しさに包まれるような心地良さを感じながら、話を訊いた。
本プロジェクトのモデルを務められたみなさんは、写真家・若木信吾さんと繋がりのある方々ですが、石井さんはどのような出会いだったのでしょう?
若木さんとは今年の2月頃に知り合ったばかりなんです。僕は、写真家として活動する際にライカを使用しているのですが、〈ライカカメラジャパン〉さんの紹介で若木さんと出会いました。ライカの繋がりがなければ今回のきっかけもなかったと思います。ライカって、人と人を繫げていくんですよ。僕自身も世界が変わって、人生が変わってきていると感じます。
具体的には、どういう体験をされたのですか?
写真を始めたのが2009年だったのですが――僕の世代はドンピシャだと思うのですが、藤原ヒロシさんのファンでして、当時彼がやっていたブログを熱心に見ていたんです。ある時、アップしている写真の雰囲気が突然変わったので、何でだろう?と思っていたら、ライカの「M8」というデジタル・カメラで撮られたことが後から分かって。ライカは知っていましたけど、M型ライカにデジタルもあることをそこで初めて知ったんです。当時、僕はまだ研修医で、給料も休みもあまりない状態だったのですが、ある日「買っちゃおうかな」と思い立ちまして。当直明けで朦朧とした中でお店に行き、レンズとセットで購入して。帰りの電車は罪悪感というか、ちょっと憂鬱でした(笑)。家に帰ってさっそく、飼っていた犬を撮影したんですけど、「こんな写真が自分でも撮れるのか!」と衝撃でした。他人に見せると写真が上手くなるかと思い、ブログを始めて写真をアップするようになったのですが、ブログを通して知り合った人の紹介で藤原さんと出会いました。「(あなたの)写真、知っていますよ」と藤原さんが言ってくださったのがすごく嬉しくて。藤原さんとは今もお友達ですが、それがライカを通しての第一の繋がりというか。さらにそういった出会いが他にも多くあり、なので、今回も同じような繋がりを感じたんです。
写真は、その後独学で続けられたのですか?
学ぶというほどでもないですが、独学です。写真と一言で言っても、実際はその種類は数多ありますが、写真そのものは現代ではカメラなどの進化によって誰でも撮れる時代ですよね。僕はキャリアもなく専門的な教育を受けている訳でもありませんが、とても端的に言えば、現代はそんな僕でも純粋に写真が好きという地点から一気に「表現」という領域に飛べる「可能性」があるわけです。もちろん実際は、表現はそんな生易しいものではないのですけれど。コンペティションなどの経験を経て、国内外で展覧会をいくつか開催した訳ですが、すべてが初めてなので常に手探りでした。特に海外の展覧会の準備を1人で行うことは非常にタフでしたが、出来ないところから出来るようにしていくという、成長における大切なことを改めて認識できたことが何よりの収穫だったと感じています。
今夏〈ライカギャラリー〉でおこなわれた写真展、『細胞の海、神経の森』は、医師ならではの着眼点がすごく面白く、不思議な作品でした。日常的に目にしている木々や地面が、切り取り方によっては人間の細胞のように見えたり、発見が多くて。
僕は医者として触れてきた特殊領域によるものと、僕自身の個性が合わさって生まれた視座で、写真を使い表現しています。それまでは自分でも「何を見て、どう撮るか」というのも説明不能だったんですよ。脳内にイメージとしてはあっても、じゃあ何で?どうして?という問いには明確な答えがなくて。この2年ほどで、そこをもう一回掘り下げて、再び生まれてきたのが、『細胞の海、神経の森』。医学を背景にした脳で見た自然な風景と、写真+キーワードというのを表に出しまして。なので、見てくださる方にも「この人は医者で、そういう視点で見ているんだ」、そういう人なんだ、というところに今、やっときていると思います。自分の写真には意味があり、自分の背景にしっかり紐づいていることに気が付いたんです。それまではむしろ、切り離して考えていましたので。
医師のお仕事としては、消化器内科の専門医であり、ジェネラリストとして内科全般の診療をされているんですよね。
子供からお年寄りまで、0〜100歳を診ていますが、全体を見るというのは僕にはすごく合っていると思うんです。1つのことだけを掘り下げるというのは――医者って、その時点でニッチじゃないですか。そこに、専門分野がそれぞれにあって。でも僕はバランスを取りたくなるタイプで。だいたいのことに対応できるのが「ジェネラリスト」で、父親もそうでしたし、僕の中の医者像なので自然に目指しました。いろいろなものを見られるし、いろいろな人に出会える、それは自分の肥やしにもなるというか。それが写真にも活きやすく、さらにその経験がまた医療にフィードバックできています。
本プロジェクトでは、初めてご自身が被写体となりましたが、いかがでしたか?
初めての仕事でしたので、まったく勝手が分からないんですよ(笑)。「どうしたらいいか、全部教えてください」と最初にお願いをして、なんとか乗り切りました。楽しめましたし、良い経験をさせてもらったと思います。着用したコートは、すごく質も着心地も良かったです。特にコートというものは重いし大きいし、着心地が悪いと、めちゃくちゃ居心地が悪いじゃないですか。〈SANYOCOAT〉さんのコートは、袖を通した瞬間に「違うな」というのが分かるというか。4、5つほど試しましたが、着心地が悪いものは1つもなかったです。それこそコートって、大人にならないと着られない感覚があるんですよ。「まだ(コートに)着られているな」と思う時代がここ数年自分の中であり、ようやく自分がちゃんとコートを着られるようになってきました。決定的なものに出会いたいなと思っていたから、今回の話が来た時は、なんだか嬉しくて。僕にとってのコートって、白衣なんです。絶対的な存在。あれを着た瞬間にスイッチも入りますし。長い丈に着慣れているから、落ち着くんですよね。コートを着て安心する感覚になるのですが、そういうことなんだなと思いました。
石井さんのお話を伺っていると、思考力が柔軟で、様々な視点から物事を捉えられている印象を受けました。今、特にどのようなことを考え興味を持たれているのか、すごく気になります。
本質を見ること。そして、見えてきたものを、ちゃんと理解することですね。表層に引っ掛かって本質を見ずに理解したり、瞬間的に脊髄反射でリアクションをすることって、あるじゃないですか。分かりやすく言うとSNSにおける負の感情的な反応とか、表層的すぎますよね。もっと「見よう」として見れば、そういったリアクションは起こらないはず。僕の中では例えば人種や肌の色の違いだけで物事を見るのは、嫌なんです。本質を見ることで回避できるんじゃないかな?と。だから本質を見たい、他者を理解したい。その先にはたぶん、優しさが生まれてくるはずなんですよ。そのためにはまず、自分を理解すること。つまり異なる他者を理解するために、写真という手法を使って、自分の脳の個性を見ようとしているのかもしれません。