HISTORYSANYOコートの歩み
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1942三陽商会創設
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レインコート第1号完成1946
『防空暗幕から生まれたレインコート』
焼け野原で迎えた敗戦の中、ゼロからの再出発を余儀なくされた三陽商会。創業者は軍隊時代のつてを辿り、戦時中の灯火管制に用いられた防空暗幕の材料の備蓄を発見します。これらを用いて作られた紳士用の黒いレインコートが、
三陽商会が作り上げたコートの記念すべき第一号となりました。
※写真は創業者直筆の初代ロゴマーク -
1947オイルシルクのレインコート生産開始
『戦後に大流行、絹のレインコート』
またたく間に完売した黒いレインコートに次いで、戦時中のパラシュートと同様の構造を持つ、オイルシルク製のレインコート生産を開始しました。
絹羽二重をブルーやピンクの明るい色に染め、防水の植物油を引いて天日乾燥。絹の光沢を持つこのレインコートは、戦後のモノ不足の中でお洒落を楽しみたい女性の圧倒的な支持を受け、全国で大流行しました。
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ラバーライズ・レインコートを生産開始1949
『進駐軍向けの商品が生んだ転機』
PX(進駐軍家族向けの売店)からのオーダーで
急遽レインコート1万着の生産を依頼された三陽商会は、
大手商社やゴム工業会社とのパートナーシップでこれを成し遂げます。この時生産したラバーライズ・レインコートをベースに斬新なデザインを加えていくことで、面白みのなかったレインコートを楽しいおしゃれ着へ。
「サンヨー」はレインコート専業メーカーとしての足場を築いていきました。 -
1951「サンヨーレインコート」を商標登録
『ラジオCMから発信したコートの魅力』
占領下から独立国としての主権を取り戻し、暗い世相に明るさが見え始めた頃、「サンヨーレインコート」のラジオCM放送がスタートしました。『あめの日もたのし、きみ美しのコートきて』というラジオCMから流れたキャッチコピーは、戦後復興の気運の中で心躍らせるものとなりました。
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1953ダスターコートを生産開始
『一世を風靡したダスターコート』
レインコートは売上バランスが梅雨時期と秋口に偏る「季節商品」。
この端境期に販売できる商品が必要と感じた創業者は、
スクラップブックに挟まれた白いエジプト綿のギャバジンからインスピレーションを受け、大手百貨店と共同で春コート「ダスターコート」を発売しました。明るい白、フロントファスナー仕様、ステンカラー、ラグラン1枚袖という斬新なデザインで大ヒットを記録。当時のタグには「フランスでは2月にもなるとレインコートを合オーバーの様に着ます」と謳い、合オーバー兼用としてコートの新分野を拓きました。この商品のヒットは、三陽商会がレインコート専業メーカーから総合コートメーカーへと進化したことを意味しました。
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ササールコート誕生1959
『コート史に名を残すベストセラー』
50年代、国民の娯楽の王座を占めていたのは映画であり、銀幕のヒーロー、ヒロインの服装や髪型が「シネモード」として流行しました。三陽商会はこのシネモードを積極的にコート開発に取り入れ、映画配給会社とのタイアップで「ササールコート」を生み出します。主演女優の名を冠したこのコートは1シーズンに5万枚の爆発的ヒットとなり、品薄の状態は数年に渡り続きました。
何度もリメークして発売されましたが、ダブルテーラー襟、太糸3本ステッチ、革の組みボタン、革バックル、ヨーク、肩章という特徴は変わることなくトレンチコートの代名詞に。コート史に名を残すベストセラーとなりました。
※写真は1957年「赤いレインコート」の復元。 -
1965プラスカラーコートを生産開始
『続くヒット、海外メーカーとの接触』
「シルエットの異なる襟を付け替えて、5通りの着方が楽しめる」という画期的な発想で生まれたプラスカラーコートは、ササールコートと並ぶ大ヒット商品となりました。
この頃、三陽商会はフランスの婦人コートメーカーCCC社の日本向けアレンジや、フランスのファッション雑誌「ELLE」が発表したオリジナルデザインのコートの商品化など、海外との接触を積極化します。他社に先駆けて結んだ海外との契約は、業界でも大きな反響を呼びました。 -
「真・善・美」を社是として成文化1971
『“用の美”を唱えた生活美学』
芸術全般に造詣の深かったこの創始者は、日用品の美的価値を説いた柳宗悦の思想「真に善が交われば美が約束される」「用に善が奉仕すれば美に至る」を、もの作りの心を体現した言葉「真・善・美」として社是に据えました。
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1985ロゴマークを刷新
『コーポレートアイデンティティを確立』
日本のアパレルメーカーで、初めて自社製品にサンヨーの織ネームやタグをつけた三陽商会は、コーポレートアイデンティティを早い時期から意識していました。1971年には、アートディレクター浅葉克己や植本正彦らがロゴマークをデザイン。第一線で活躍するクリエイターに依頼することで、
時代の空気感を孕んだブランディングにつなげました。1985年には4代目、高橋稔が21世紀に向けて、ハイセンス、ハイクオリティ、インターナショナルを目指す三陽商会をシンボライズした、先鋭的なデザインでロゴマークを表現しました。
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100年コートプロジェクトスタートへ2013
『TIMELESS WORK. ほんとうにいいものをつくろう』
設立70周年を機に、三陽商会が向かうべき方向性として、新たな企業タグラインを策定しました。これは社是である「真・善・美」と、当社が目指す「いつの時代でも変わらぬ価値のあるものづくり」の両方を表す言葉であり、生活者から共感・共鳴され、愛される企業になるため、自ら掲げるメッセージです。このタグラインを体現する商品として『100年コート』を開発しました。広告賞)ファイナリスト等、国内外から高い評価を獲得しました。
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2017100年コート”Aged”生産開始
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JANTJE_ONTEMBAAR限定アイテム2018
タレントの香取慎吾さんとスタイリストの祐真朋樹さんが ディレクターを務めるPPP SHOP「ヤンチェ_オンテンバール(JANTJE_ONTEMBAAR)」の限定アイテムとして、表地や裏地に香取さんが描いた色鮮やかなアート作品をプリントで表現したスペシャルなコートを生産 。
2019「SANYO COAT」NEWブランドロゴ誕生
HISTORYSANYOコートの歩み
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1942三陽商会創設
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レインコート第1号完成1946
『防空暗幕から生まれたレインコート』
焼け野原で迎えた敗戦の中、ゼロからの再出発を余儀なくされた三陽商会。創業者は軍隊時代のつてを辿り、戦時中の灯火管制に用いられた防空暗幕の材料の備蓄を発見します。これらを用いて作られた紳士用の黒いレインコートが、
三陽商会が作り上げたコートの記念すべき第一号となりました。
※写真は創業者直筆の初代ロゴマーク -
1947オイルシルクのレインコート生産開始
『戦後に大流行、絹のレインコート』
またたく間に完売した黒いレインコートに次いで、戦時中のパラシュートと同様の構造を持つ、オイルシルク製のレインコート生産を開始しました。
絹羽二重をブルーやピンクの明るい色に染め、防水の植物油を引いて天日乾燥。絹の光沢を持つこのレインコートは、戦後のモノ不足の中でお洒落を楽しみたい女性の圧倒的な支持を受け、全国で大流行しました。
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ラバーライズ・レインコートを生産開始1949
『進駐軍向けの商品が生んだ転機』
PX(進駐軍家族向けの売店)からのオーダーで
急遽レインコート1万着の生産を依頼された三陽商会は、
大手商社やゴム工業会社とのパートナーシップでこれを成し遂げます。この時生産したラバーライズ・レインコートをベースに斬新なデザインを加えていくことで、面白みのなかったレインコートを楽しいおしゃれ着へ。
「サンヨー」はレインコート専業メーカーとしての足場を築いていきました。 -
1951「サンヨーレインコート」を商標登録
『ラジオCMから発信したコートの魅力』
占領下から独立国としての主権を取り戻し、暗い世相に明るさが見え始めた頃、「サンヨーレインコート」のラジオCM放送がスタートしました。『あめの日もたのし、きみ美しのコートきて』というラジオCMから流れたキャッチコピーは、戦後復興の気運の中で心躍らせるものとなりました。
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1953ダスターコートを生産開始
『一世を風靡したダスターコート』
レインコートは売上バランスが梅雨時期と秋口に偏る「季節商品」。
この端境期に販売できる商品が必要と感じた創業者は、
スクラップブックに挟まれた白いエジプト綿のギャバジンからインスピレーションを受け、大手百貨店と共同で春コート「ダスターコート」を発売しました。明るい白、フロントファスナー仕様、ステンカラー、ラグラン1枚袖という斬新なデザインで大ヒットを記録。当時のタグには「フランスでは2月にもなるとレインコートを合オーバーの様に着ます」と謳い、合オーバー兼用としてコートの新分野を拓きました。この商品のヒットは、三陽商会がレインコート専業メーカーから総合コートメーカーへと進化したことを意味しました。
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ササールコート誕生1959
『コート史に名を残すベストセラー』
50年代、国民の娯楽の王座を占めていたのは映画であり、銀幕のヒーロー、ヒロインの服装や髪型が「シネモード」として流行しました。三陽商会はこのシネモードを積極的にコート開発に取り入れ、映画配給会社とのタイアップで「ササールコート」を生み出します。主演女優の名を冠したこのコートは1シーズンに5万枚の爆発的ヒットとなり、品薄の状態は数年に渡り続きました。
何度もリメークして発売されましたが、ダブルテーラー襟、太糸3本ステッチ、革の組みボタン、革バックル、ヨーク、肩章という特徴は変わることなくトレンチコートの代名詞に。コート史に名を残すベストセラーとなりました。
※写真は1957年「赤いレインコート」の復元。 -
1965プラスカラーコートを生産開始
『続くヒット、海外メーカーとの接触』
「シルエットの異なる襟を付け替えて、5通りの着方が楽しめる」という画期的な発想で生まれたプラスカラーコートは、ササールコートと並ぶ大ヒット商品となりました。
この頃、三陽商会はフランスの婦人コートメーカーCCC社の日本向けアレンジや、フランスのファッション雑誌「ELLE」が発表したオリジナルデザインのコートの商品化など、海外との接触を積極化します。他社に先駆けて結んだ海外との契約は、業界でも大きな反響を呼びました。 -
「真・善・美」を社是として成文化1971
『“用の美”を唱えた生活美学』
芸術全般に造詣の深かったこの創始者は、日用品の美的価値を説いた柳宗悦の思想「真に善が交われば美が約束される」「用に善が奉仕すれば美に至る」を、もの作りの心を体現した言葉「真・善・美」として社是に据えました。
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1985ロゴマークを刷新
『コーポレートアイデンティティを確立』
日本のアパレルメーカーで、初めて自社製品にサンヨーの織ネームやタグをつけた三陽商会は、コーポレートアイデンティティを早い時期から意識していました。1971年には、アートディレクター浅葉克己や植本正彦らがロゴマークをデザイン。第一線で活躍するクリエイターに依頼することで、
時代の空気感を孕んだブランディングにつなげました。1985年には4代目、高橋稔が21世紀に向けて、ハイセンス、ハイクオリティ、インターナショナルを目指す三陽商会をシンボライズした、先鋭的なデザインでロゴマークを表現しました。
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100年コートプロジェクトスタートへ2013
『TIMELESS WORK. ほんとうにいいものをつくろう』
設立70周年を機に、三陽商会が向かうべき方向性として、新たな企業タグラインを策定しました。これは社是である「真・善・美」と、当社が目指す「いつの時代でも変わらぬ価値のあるものづくり」の両方を表す言葉であり、生活者から共感・共鳴され、愛される企業になるため、自ら掲げるメッセージです。このタグラインを体現する商品として『100年コート』を開発しました。広告賞)ファイナリスト等、国内外から高い評価を獲得しました。
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2017100年コート”Aged”生産開始
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JANTJE_ONTEMBAAR限定アイテム2018
タレントの香取慎吾さんとスタイリストの祐真朋樹さんが ディレクターを務めるPPP SHOP「ヤンチェ_オンテンバール(JANTJE_ONTEMBAAR)」の限定アイテムとして、表地や裏地に香取さんが描いた色鮮やかなアート作品をプリントで表現したスペシャルなコートを生産 。
2019「SANYO COAT」NEWブランドロゴ誕生
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