ファッションエディターが見た
「いい靴」作りの流儀
六.
「吊り込み」は
職人のプライドだ
いよいよ、靴作りは「メイキング」とよばれる佳境に突入。今回は、底付けを行う前の「吊り込み」工程をじっくりご紹介します。大量生産品と“いい靴”とで、如実に違いが出るのがこの工程。三陽山長の職人たちは決して手間ひまを惜しまず、驚くほど丁寧な仕事ぶりを披露してくれました。彼らの手を動かすのは、一足入魂のプライドという熱き血潮なのです。
取材・文
編集者 小曽根 広光
初めて訪れた靴工場は英国ノーサンプトンの某名門。入国審査で「Fashion Journalist」の発音がどうしても通じず、呆れ顔で“もういいよ”と通された恥ずかしさとともに、いまでも深く脳裏に刻まれています。
立体美を決める、靴作りの要所
靴工場のよしあしは、訪れた瞬間に誰でもわかります。大量生産・効率重視で靴作りをしているところは、会話もできないほど機械の轟音が鳴り響き、接着剤の匂いが立ちこめている。翻って、いわゆる最高級靴の工房を満たすのは、職人たちが使うハンマーの音と革の香りです。三陽山長のファクトリーを訪れたとき、私はすぐに「ここはいい工場だ」と感じることができました。
さて、今回ご紹介するのは、底付けの第一段階である「吊り込み」。縫製が終わったアッパーを木型にぴったりと沿わせ、立体的なフォルムに造形する工程です。いくら木型の完成度が高くても、吊り込みが甘いとその真価は発揮されません。では、吊り込みの良し悪しを決定づけるのは何かというと、これは“いかに手間をかけたか”の一言に集約されます。
前述した量産靴工場だと、吊り込みにかける時間は一瞬。対して“いい靴”の吊り込みは、ペンチとハンマーと釘で少しずつ木型に革を馴染ませていきます。一部には機械も使いますが、量産靴と比べるとかかる手間ひまが段違いなのです。
最初に行うのは、つま先部分の吊り込み。ここは専用の機械(トウラスター)を使っていきます。写真に写っているたくさんのクリップのようなもので吊り込むわけですが、少しでも靴の設置を間違えると吊り込みがうまくいきません。アッパーとラストを慎重に合わせながら職人が作業していました。
ハンマーを使って、吊り込んだつま先を力強く叩いていきます。“そんなに叩いて大丈夫なの?”と少々心配になるくらい力強く叩くのですが、これによって木型への馴染みがいっそうよくなるそう。
ここからが吊り込みの本番。ペンチでアッパーをグイッと引っ張り、釘を打ち込んで木型に沿わせていきます。アッパーの内側にはライニングもあり、2枚の革を引っ張っていくため、かなりの力仕事。当然、時間も相当に必要とします。
ちなみにこれまでの写真をよく見るとおわかりかと思いますが、一足の靴を吊り込む工程は、基本的に最初から最後まで同じ職人が担当します。つま先を吊り込む人、全体を吊り込む人……という具合で流れ作業にしていけばより効率的になりますが、小規模ゆえ昔ながらの靴作りを今も行っていました。個人的には、そのことが靴のクオリティを高める見えない要因になっている気がします。ハンマーを振るう職人たちの顔にも『これは俺が作った靴だ』というプライドが浮かんでいるように見えました。
仕上げに、カカトの部分を吊り込みます。ここも専用の機械(ヒールラスター)を使用。吊り込みを終えたアッパーは、見事な“靴”の形になっていました。
いい靴に仕上げるためには
“寝かせる”ことも大切
吊り込みを終えた靴が並んでいる様子。実はこれ、仕上がりのクオリティを上げるための重要なプロセスです。いくらきっちりと吊り込んだとはいえ、すぐに次へ進んでしまってはアッパーが型崩れしてしまいます。そこで底を縫い付ける前にしっかりと“寝かせる”ことで、アッパーを木型の形に定着させるのです。当然、寝かせる時間を長くとるほど生産効率は下がります。が、いい靴を作る現場ほど寝かせる時間を惜しみません。
吊り込みのいい靴は、ここが美しい
しっかりと吊り込まれた靴は、どこが違うのか。まず、全体のプロポーションに抑揚が生まれます。抑えるべきところはピッタリとタイトに、丸みを持たせるべきところはふくよかに仕上がり、グラマラスでありつつも引き締まった造形美を描き出すのです。次に、靴の美観とともに履き心地も左右するウエスト(土踏まず)部分に注目。グッとくびれるように、ひときわ立体的な仕上がりになっています。靴好きなら思わず声が漏れるポイントです。ヒール部分も同様で、カカトを包み込むようなカーブを乱れなく描いていることがわかるはず。このように、木型の設計思想を最大限引き出すのが吊り込みの技なのです。
友二郎
次回は、ついに底付けの工程をご紹介。靴作りを紹介する記事でしばしばフォーカスする主要プロセスですが、じっくりとその仕事ぶりを見ると、実に多くの発見がありました。
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